錦鯉の歴史 時代を象徴する品種と地域 鯉という名前の歴史など
錦鯉は観賞用の魚として、日本だけではなく海外で人気のある鯉の種類です。
しかし、錦鯉はいったいどのようにできたのか、いつからいるのか、なぜ錦鯉と呼ばれているのかなどはなかなか知るきっかけがありません。
今回は海外でも人気のある錦鯉の歴史について説明したいと思います。
錦鯉の歴史は「新潟県発祥の観賞魚」
錦鯉は江戸時代の終わりのころに新潟県山古志村(やまこしむら)で誕生した鯉の品種です。
現在の新潟県長岡市にあたります。
元々は真鯉であり、突然変異で錦鯉が誕生しました。
最初の錦鯉の種類は浅黄という説が有力です。
その後、明治時代に入り、品種改良がされ紅白が誕生します。
紅白は現在の新潟県小千谷市で誕生しており、紅白イコール小千谷という印象もあります。
小千谷市については「錦鯉のおすすめグッズを紹介 風水視点からよいグッズや小千谷市のおすすめグッズなども」にも詳しい情報を掲載しています。
その後、大正時代に入り、名前のごとく大正三色、昭和に入り昭和三色の錦鯉が誕生しました。
大正三色、昭和三色など錦鯉の種類が誕生した時期が品種名になっており、歴史と密接に関連していることがわかります。
また、昭和三色やそのほか、多数の品種が小千谷で誕生しており小千谷は錦鯉の一大新品種生産地といえます。
コイを鯉と書く理由と歴史
錦鯉などのコイは漢字で「鯉」と書きますが、なぜ魚偏に里なのかというと複数の俗説があります。
一つ目はうろこの境目が真鯉などは黒くはっきりとしており「あや(理)」がはっきりとしているから魚偏に里で鯉となった説です。
二つ目が鯉という魚はなにかとおめでたい魚なので、利益に通じる里で鯉になった説です。
三つ目に鯉の側線りんの数が36枚で一理は36町のため、一里の魚で鯉となった説です。
どれも個人的にはなんとも言えませんが、「春の魚」と書いて鰆だったり、「秋の刀のような魚」と書いて秋刀魚だったりと比較すると少し根拠があいまいですね。
鯉はなぜ「コイ」と呼ばれているのかの歴史
鯉という漢字に関しては多数の説がありますが、コイはなぜコイと発音するかもいくつかの歴史と俗説があります。
一つ目はおとぎ話的ですが、景行天皇(けいこうてんのう)という天皇が恋の歌を詠まれたときに池にいた魚がたまたま鯉だったため、コイと呼ばれ始めた説です。
なお、景行天皇は日本武尊(ヤマトタケル)の父といわれています。
二つ目は鯉どんな環境でも生命力が強く、ほかの魚と比較するとすぐに肥える(こえる)ことから「こえる」が「コイ」になった説です。
これはどちらかというと二つ目の理由が無難ぽい感じがしますね。
錦鯉は歴史があり新品種はなかなか生まれない
錦鯉は様々品種があり現在も生産者は切磋琢磨しながら交配を試し、新しい品種をストイックに追い続けています。
錦鯉の歴史づくりの一ページに自分の養鯉場が刻まれると嬉しいですし、名誉なことですからね。
錦鯉の歴史を振り返ると突然変異で生まれた新しい品種も少なくありません。
新しい品種を生み出すには何代にもかけて交配をすすめ、生み出します。
しかし、期待したような交配による新しい品種は必ずしもうまれるわけではありません。
その一匹限りで終わってしまうこともあり、普及していない新しい品種の鯉を変わり鯉とも呼ばれます。
現在は変わり鯉の一品種に過ぎない錦鯉も後から考えると歴史上メジャーな品種になるかもしれないので、錦鯉の歴史を追いかけるのであれば変わり鯉にも注目ですね。